たんぶる猫

May 28

handa:

overlapping (by Marser)
Tamamo Park, Kagawa, Japan

(via kotoripiyopiyo, theantidote)

handa:

overlapping (by Marser)

Tamamo Park, Kagawa, Japan

(via kotoripiyopiyo, theantidote)

May 18

“ いっぽう「言いたいこと以外のこと」は無限だ。俳句は自分の意図ではなく言葉に従って作るから自分で思いつかない表現が出てくる。自分の発想の外側に着陸することができる。『坪内稔典の俳句の授業』(黎明書房)にあるとおり、感動したから書くんじゃなくて、書いたから感動するのだ。
(中略)
「自分の言葉で表現しろ」はしばしば誤解を生む言いかただ。言葉は本来他人のものであり、それを借りて使うには、言葉の使用法にたいして謙虚でなければならない。規則や慣習に従ったくらいで損なわれる「自分」など、もともとひ弱な、表現に値しない「自分」だ。” — チェックリストでわかる! 言語運動神経の精度:日経ビジネスオンライン

“貧乏な人は自分の人生のあまりに多くの側面について責任を背負い込んでいます。金持ちになればなるほど、だれかが「正しい」判断を代わりに下してくれます。貧乏人には水道がなく、地方政府が水道に入れてくれる塩素消毒の恩恵を受けられません。きれいな飲料水がほしければ、自分で浄水しなければならないのです。栄養満点の出来合い朝食シリアルは買えないので、自分や子どもが十分な栄養素を得ていることを、自分で確認しなくてはなりません。退職年金天引き制度や社会保障料天引きなど、自動的に貯蓄する方法もないので、自分が確実に貯金するような方法を考案しなければなりません。
こうした意思決定はだれにとってもむずかしいのです。いま考えたり、今日ちょっとした費用が必要で、その便益を回収できるのははるか将来のことだからです。だから、すぐに先送り傾向が邪魔になってきます。貧乏人たちにとっては、人生がすでにわたしたちよりずっと面倒なので、さらに事態は悪化します。
豊かな国に住む者こそ、そうした過干渉の絶え間ない受益者ではないでしょうか?ただそれがシステムにしっかり埋め込まれているため、気がついていないだけなのです。おかげで、自分で何もかも決断を下さなくてはいけない場合にくらべ、ずっと健康状態もよくなるばかりか、そういった問題に煩わされずにすむので、生活のほかのことに専念するだけの心のゆとりも生まれます。” — 「貧乏人の経済学」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

May 14

“ ヒトは、偶然に左右される事象や、相互に無関係でありただ同じ時に並列したに過ぎない事象であっても、物語りとして眺め、筋書きを追い、意図や動機を求め、ドラマのように/ドラマティックに語り上げ、クライマックスやカタルシスまで期待する。
 
 ヒトは、物語るサルである。
 
 物語を通して、伝達し、認識し、記憶し、そして構想する。
 我々は、世界について、そして自分について繰り返し物語ることで、周囲と自分の位置を確かめ、世界や他者に働きかけ、自分を再構築し、現在と未来を作り上げていく(この文脈においては、ドン・キホーテ原理もウェルテル効果もルート・メタファ説もナラティブ・シンキングも、瑣末なエピソードに過ぎない)。
 
 これが他人の〈自分語り〉=自伝に学ぶ理由である。” — この自伝がすごい/よく生きるためのリベラルアーツ書10冊 読書猿Classic: between / beyond readers

May 11

“15 :名無しのひみつ:2012/05/08(火) 01:31:03.69 ID:P7WqKwjM
人間なんて所詮。
栄養の観点から見れば、腸に頭と手足が生えたような生き物だしな。
腸の不調=体の不調で合ってる。” — (*゚∀゚)ゞカガクニュース隊:腸内環境のアンバランスが全身の免疫系を過剰に活性化?

May 01

“山 私の論文「自己なるコメと他者なるコメ」は、「もともとコメは熱帯から亜熱帯地域原産の植物であって、寒冷地である東北地方で作るのはとても難しいのに、なぜ東北地方が今みたいな一大穀倉地帯になったんだろう?」という問題意識から始まりました。それで、東北が田んぼ一色になって、「日本人の原風景」なんて認識されるようになっていく歴史を追っていくと、日本統治時代に海外米が輸入されるようになるまで、大多数の人々は、日本の「主食」といわれているコメを、まったくではないとしても、ほとんど食べてこなかったことがあらためてわかりました。  確かに、例えば江戸期、徳川幕府を頂点とする各藩の税徴収システムは「石高制」をもとにしていたと歴史の授業でも習うし、あたかもコメが当時の経済と食の中心にあったかのように見えます。しかしそれは、あくまでも全人口の10%程度にすぎない武士の世界に限っての話なんですね。逆に、当時の農村に関する文献には、凶作や飢饉のたびに数万人レベルの人々がバタバタと死んでいく様子ばかりが描かれていて、コメどころか食糧それ自体が不足している。それでは農民は何を食べていたかというと、やっぱり雑穀なんですよね。つまり、彼らにとってコメとは、自分たちの食べ物であるというより、嗜好品であり、商品作物であったわけです。そのあたりの感覚は、「コメ=食べ物」という現代人とはかなり違うんですね。  それではなぜ、コメが日本の「主食」といわれるようになったのか? 調べていくと、特に近代以降、国家形成のために稲作の祭祀を司る天皇を日本文化の中心に据えて、稲作と日本人のアイデンティティとを結びつけようとする、「稲作ナショナリズム」とでも呼ぶべき言説が、国家レベルで繰り返し語られてきたことがわかりました。” — 速水健朗×山内明美「日本人は、コメもラーメンも食べてない?」食とナショナリズムの危険な関係 - サイゾーpremium

“「子供のころはあなたと同じくらい長さだった髪の毛も、肩を超えました。この髪をかき上げもらって愛したい人は、あなた以外にはいません」” — 伊勢物語第二十三段のこと: 極東ブログ

“交響曲を漫然と聴くのも悪くないが、ソナタ形式を知っていると、より興味が増すと思う。 ソナタ形式は中学校の音楽で学んだと思うが、どういうわけか、学校音楽というと良い思い出がない人が多いようで、音楽の授業のことは覚えていないようである。 ソナタ形式で書かれている交響曲は多い。
音楽は理屈で聴くものではないという意見も否定しない。 だが、ソナタ形式を知っていると、長い交響曲も聴いていていつしか眠ってしまったということがなくなるかも知れない。 「ソナタ形式」で検索すれば解説はたくさん出てくるだろうが、簡単に説明すると ================================ 1.序奏 2.主題提示部 ・第1主題
・第2主題 3.展開部 4.再現部 ・第1主題
・第2主題 結尾部 ================================ となっている。 こう書くと硬くて嫌になりそうだが、何のことはない、これはドラマ(映画)と同じだ。 映画は ================================================ さあ今から始まりますよ・・・・・序奏 主題提示部
主人公の登場・・・・・・・・・・第1主題
主人公の愛人登場・・・・・・・・第2主題 事件が起こる・・・・・・・・・・展開部
・主人公が愛人の危機などに、勇敢にも登場し悪人たちと戦う 主題再現部
主人公が悪人をやっつけて復活・・第1主題
救った愛人も無事救出・・・・・・第2主題 めでたしめでたし・・・・・・・・結尾部 ================================================ となっている。 音楽の世界も映画も男と女だ。 交響曲で退屈する人は、こんな視点で聴いてみたらどうだろう。” — 音楽と生活: ソナタ形式

Apr 23

“「ある有名なデザイナーが、一見シンプルに見えるけど、実はものすごく複雑な要素が組み合わさってシンプルさが構成されているのがいいデザインの特徴って言っていた。深いね。最近、単機能でシンプルなのが一番というような風潮があるけど、それって深く理解しないと無茶苦茶危険。実はすごい作り込まれているんだけどシンプルに見えるっていうのが正しくて、作り自体を安易に単純にするのは逃げ。” — 単純さに逃げるなと彼は言った - モダンデジタル一眼スタイル (via aznyan-ultimate)

(via kotoripiyopiyo)

Mar 25

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